合わせて生きるか、合わせないで生きるか?

COLUMN

合わせる人、合わせない人

育ってきた環境、親や先生の影響、自分の体験、言われ続けてきたこと、友達との関係性、…etc.これらが人によって、周りに合わせる傾向が強かったり、または合わせない傾向が強かったりというものに影響しているように感じています。

これってどちらが正解だって話ではありません。どちらにも陰陽両面がある。

「合わせる」傾向の強い人のイメージは、人のニーズに敏感で、変化への感度が高い人が多い。でもそれが強すぎると、常にそれに沿わない自分に対して自己否定したり、自信を失ったりしてしまいます。合わせることが生きていくためには大事だって思っていたので、自分の内なる想いや自分の強みに無頓着だったりもします。それが続くと、苦しい・・・。

「合わせない」傾向の強い人のイメージは、自分の思いに対して純粋で正直、やりたいことをやることに躊躇がない。「やりたいならやったらいいじゃん」って感じ。でもそれが強すぎると、周りに対しての配慮が欠けたり、いつもぶつかりあってたりします。自分は正しく、相手は間違っているという見方をしやすかったり。それが続くと、孤独・・・。

違い②

大抵どちらの人も、人生の中である時そこに「違和感」を覚えることがあるんじゃないかって思います。「このままでいいのか?」って。(そのまま突き進む人も中にはいるでしょうけど(笑))ある瞬間に突然そう思うというより、いつも何か心の中でくすぶっていて、何かのきっかけで強く思うようになる感じ。

わたしは、体験的に思います。これが統合出来ると、その人が本当に、「社会の中で自分を生きる」ことが出来るようになるんじゃないかって。

わたしは、「合わせる人」傾向がものすごく強かった。(これ言うと、信じられないと笑う人も結構いるのですが、自己認識ではそうなんです(笑))

この違和感は、もうひとつの側への惹かれる感覚と、怖れる感覚との葛藤なんじゃないかって思うんです。今の自分を変えたほうがいいのか?変えないほうがいいのか?変えるとしても変えることが怖い…。

裏表

いきなり逆側に振るのは不自然だ。でも逆側の世界も垣間見てみたい。そんな時、それぞれの人は、こんなことをしてみたらどうだろう?

「合わせる人」は、様々な人のニーズの中で、特に応えたいのはどれなのか?どれに応えるのが自分にとって大切なのか?と考えてみる。人は多様であって、全部の思いに応えることは無理。本当に大事なことを大事にして生きる自分であっていいんだって自分に許可をしてあげる。よく自分の内なる声に耳を傾けて、本当に自分がしたいことに正直になる。必ずある自分では無自覚な自分の強みを認識する。

「合わせない人」は自分のやりたいことが、誰かの役に立つことがあるとしたらそれは何か?と考えてみる。人は多様であって、様々な考え方がある。自分がそうであるように、他の人にも大事にしたいものがある。それを尊重した上でそれぞれの強みを生かしたらもっと面白いものが生まれる可能性に目を向けてみる。誰かのために自分を活かそうとした時、周りが本当に自分を受け入れて、自分が活かされている感覚がより強くなることを認識する。

そうすると、「合わせられるし、合わせなくもいられる人」になっていくんじゃないか?言い換えれば「自分を活かして、誰かを喜ばせ社会をよくする。自分のやりたいことを通じて誰かに貢献できる人」になっていくんじゃないか。

「合わせる人」も「合わせない人」も、共通の「怖れ」を持っていると思うんです。それは、自己価値や存在意義を見失ってしまう怖れ。自分の中にいる弱くて決してその存在がバレてはいけないと思っている闇の自分…。

合わせる人は、自分を出すことによって、それを批判されたり、バカにされたりしたことがあったのかもしれません。相手に他意はなくてもそう受け取ってしまった経験が、自分の心に無自覚に「怖れ」としてくっついている。

合わせない人は、合わせる人を身近に感じながら、「こんな風にはなりたくない」惨めだ。譲ったら負けだと思うことがあったのかもしれません。相手に合わせることイコール惨めという観念が、自分の心に無自覚に「怖れ」としてくっついている。

その「怖れ」は、どちらも幻想で真実ではないんです。たまたま、その時はそうだったかもしれない。自分にはそう見えたのかもしれない。でもそれを自分の「真実」として、心にくっつけたまま生きているんですよね。

手放す

「怖れ」を手放す。

自分でつくりあげた、自分の中の弱くて認めたくない闇の自分を、認め、許し、受け入れ、手放す。

そうすると、必ずその奥にいる、純粋で美しい自分が立ち現れてくるんです。それは必ずいる。
手放すのは怖い。それを手放すと、行き着くところ自分は誰からも見放されてしまうくらいに思ってたりするから。だから手放すことは、言い換えれば、「心の奥」にある「純粋な思い」に気づいて、本当に大事にしたいことを大事にして生きるという覚悟と決意なのかもしれない。

でも、それをするだけの価値は間違いなくある。魂の想いにつながり、真に自由な自分として生きる。

そんなこと思う今日この頃です(^_^;)

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