言葉の動物

COLUMN

言語はそれ自体によっては一定以上に純化されない、と考えてきました。

 

SHIBUYA+BArスタッフを1か月前からさせて頂いているTakkyです。

 

自己紹介です。

私の考えていることは、ほとんど音楽を中心にして説明できます。

音楽に対する好奇心や楽しさというよりかは、焦燥感や、もっといえば使命感のようなものに駆られて日々を過ごしています。私は彼らに認知すらされていないのですが、私にとっては依存とか、あるいは信仰の対象なので、ますます度が過ぎていくわけです。

 

また、私は言語という概念に対して極端に慎重なアプローチをとっています。

人間は言語によって規定されます。その逆はおそらくありません。自己に対しても他者に対しても同じです。緻密なように見えてどこまでも曖昧な言語によって規定が行われてしまうことに私は恐怖感を覚え、できるだけ距離を置きます。

 

そして、言語を排して作られた音楽でさえも、言葉の動物である人間がそれを作った以上、メロディー、和音、リズム、ノイズ、どんな音もまたそれぞれに意味をもち、言語や物語を持ち始めます。

 

だからこそ、非言語であった音楽から想像されうる言語や物語を私は信じています。

私は作曲をしています。

その人だけの、誰も傷つくことのない、意思に純粋で、内的な音楽を作ることができたのなら、私にとってそれ以上に幸せなことは今のところありません。

 

 

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私は、SHIBUYA+BArという場を明確に説明できません。

 

かろうじて言えることは、ここは常に新しい価値観が持ちこまれる稀有な場だということです。

+BArの根底にある哲学はきっと、上に書いたような言語との付き合いをしている私にとって試練の場になりえるものだとも感じています。様々な言葉が次々に飛び交う場だからです。

しかし最近、そのようなことを悶々と考えている人間こそ言語を使っていくべきで、音楽だとか会話だとか手段はともかく、最終的に理想に近づけたらよいのでは、と考え始めました。なにもしないよりは確実に近いところへ行けると。

 

このような個人的な思いを含みつつ、スタッフとして、+BArにいらっしゃる皆さんのお話を聞くのを心待ちにしています。

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